なぜ、人や場所を撮り続けるのか。 太田信吾監督が語る、作品と「一期一会」
太田信吾監督は、自身や家族、友人、街、失われゆく場所にカメラを向けてきました。最新作『沼影市民プール』は、閉鎖を控えた屋外プールの最後の49日間を記録した映画です。本記事では、過去作と取材を手がかりに、撮り方と人との関わり方の変化をたどります。
※本記事には、自死や遺書に関する記述が含まれます。
太田信吾監督とは
映画監督・俳優。早稲田大学在学中に哲学と物語論を学び、卒業制作の映画『卒業』をきっかけに制作活動を始めました。ドキュメンタリーとフィクションを横断し、監督に加えて、撮影、編集、録音、プロデュース、出演も担っています。映画や舞台のほか、記者・映像制作者として、Yahoo!ニュースなどの媒体向けドキュメンタリーや映像記事にも携わっています。
作品を知らなくても読める、六つの入口六つの作品を知る
本記事で登場する主な作品です。鑑賞していなくても読み進められるよう、まず「何を描いた作品か」を一文で紹介します。
※記載年は、制作、初上映、国内公開など、作品ごとに異なる節目を示しています。
太田信吾監督は、何を撮ってきたのか太田監督が撮ってきたもの
太田監督は、ひきこもりを経験した自身とその家族、のちに亡くなられた友人との時間、大阪・西成で出会った人々、立場の異なる人の声、城崎の風景、そして閉鎖を迎える市民プールを撮ってきました。一見すると、それぞれ別の題材です。
しかし、作品を一つの流れとしてたどると、繰り返し現れる題材と、作品を重ねるなかで変化したまなざしが見えてきます。まずは太田監督自身に、これまでの映画を振り返ってもらいました。
映画に、何を残していくのか
作品ごとに題材は異なりますが、振り返ったとき、太田監督自身にはどのような共通点が見えるのでしょうか。そこから、記録を残す意味や、映画が観客へ届く場について聞きました。
振り返ってみると、自分はずっと「なくなってしまうもの」を撮ってきたのかもしれません。
ただ、最近は「失われるものを保存したい」というだけではないと思っています。
映画には、失われたものを元通りにする力はありません。でも、そこにいた人の声や身体、風景、時間を、別の時代の知らない人に手渡すことはできると思います。
映画館では、年齢も立場も考え方も違う人たちが同じ映像を見て、それぞれ違うことを考えると思います。
今は、そのような「異なる人が同じ場所にいられる時間」を残していきたいと思っています。
自分を撮ることから、友人を撮ることへ自分を撮り、友人を撮る
太田監督の映画づくりは、自分自身を撮ることから始まりました。高校時代、学校へ通うことが難しい時期が続き、約2年間、ひきこもりの状態を経験しました。大学の卒業制作『卒業』では、その経験を自ら演じ直しながら家族を撮り、撮影を通して家族との会話や社会との接点を取り戻していきました。
次にカメラを向けたのが、高校で二学年上の先輩だったミュージシャン・増田壮太さんです。大学時代にライブ映像の撮影を頼まれ、同級生の冨永蔵人さんも交えた時間が『わたしたちに許された特別な時間の終わり』へつながりました。制作の途中で増田さんが亡くなられ、映画は、大切な友人の生きた姿をどのように残すかを問う作品にもなりました。
憧れの先輩を、一つの人物像に決めずに残す
増田さんは、太田監督にとって高校時代から憧れていた先輩であり、撮影を重ねるなかで、憧れだけでは捉えきれない姿を知っていった友人でした。カメラを通して見えてきた姿と、増田さんが亡くなられたあと、太田監督が映画を完成させるまでに何を支えとしたのかをたどります。
増田壮太は高校の二つ上の先輩で、僕が入学した頃にはすでにCDデビューしていて、高校生の自分からすると憧れの存在でした。
夢を追って東京に出たものの体調を崩して実家へ戻ることになり、本人はそれを「負け」のように感じていたのだと思います。
でも、僕の同級生だった冨永蔵人と引き合わせてみたら、二人は音楽の話で意気投合して、増田が急に生き生きし始めたんです。そのとき、成功か失敗かという物差しだけでは測れない人生があるのではないかと思いました。
僕が惹かれていたのは、増田の才能だけではなく、格好よさと格好悪さ、強さと弱さが同居しているところだったのだと思います。彼からはよく「暗い映画にするな」「ハッピーエンドにしてくれ」と言われていました。
増田の遺書に「映画を完成させてね。できればハッピーエンドで」という言葉が残されていました。それは支えであると同時に、かなり重い言葉でもありました。
増田を亡くした直後は、悲しいというより、怒りに近い感情もあったと思います。
それでも完成させられたのは、増田との約束だけではなく、残された映像の中に、生きている彼がいたからだと思います。
映像の中の増田は、矛盾しているし、笑っているし、格好悪いところもあって、ときには腹が立つこともあります。その複雑さを映画として残すこと自体が、自分にとっては彼との関係を続けることだったのかもしれません。
友人にカメラを向け続けた経験は、「撮ることは相手のためになるのか」「撮る側だけが正しい立場にいるのか」という問いにもつながりました。その問いは、『解放区』で太田監督自身へ向けられます。
他人を撮る自分は、正しいのか——『解放区』他人を撮る自分を疑う
自分自身と友人を撮った太田監督は、やがて街で出会った人々へカメラを向けるようになりました。初めて大阪・西成を訪れたのは2010年です。卒業制作『卒業』を、地域の人々が集うココルームで上映したことがきっかけでした。その後も街へ通い、そこで出会った少年たちとの時間を重ねながら、日雇いの解体現場でも働きました。
その経験から生まれたのが『解放区』です。西成で「本当の姿」を撮ろうとして他人の生活へ踏み込んでいく若い映像作家を、太田監督自身が演じています。実際の経験を土台にしながら、主人公を自分より極端な人物として描くことで、他人を撮りたいという欲望と、その危うさを映画の中へ差し出しました。
街を知ることと、踏み込みすぎること街を知ること、撮る側の距離
西成を外から説明するのではなく、自分も街で過ごし、働いてみる。その選択は街への理解を深める一方で、他人の人生へカメラを向ける自分自身の欲望も浮かび上がらせました。街で見えたものと、撮る側として自覚した危うさの両方を聞きました。
実際に日雇いの解体現場でも働きました。そこで釘を踏んでしまって、翌日まともに歩けなくなったこともあります。
実際に働いてみると、外から見ているだけでは分からなかったことが、身体で分かってきました。仕事を一日失うことが、そのまま生活の危機につながる人がいます。
一方で、街の中では、誰かが誰かを気にかけ、食べ物や情報を分け合う姿もありました。僕にとって西成は、「思いやり」と「人間の弱さ」の両方がむき出しになっている場所でした。
かなり重なっています。ただ、自分そのものではありません。
僕自身、若い頃は「映画を撮ること」や「真実に近づくこと」に対して、今よりずっと暴力的なところがあったと思います。
だから演じながら、自分自身を少し離れたところから見ていた感覚があります。演技をすると、自分を他人のように眺められる瞬間があるんです。
『解放区』は西成についての映画であると同時に、「カメラを持って他人に近づこうとする人間とは何なのか」という自分自身への批判を含んだ映画でもあったと思います。
『解放区』のあと、太田監督の問いは、「どこまで近づけるか」だけでなく、「自分とは異なる人を、理解したつもりにならず、どう画面に残すか」へと広がっていきます。これは、その後の作品と今回の取材から見えてきた本記事の整理です。
「理解できない声」を、映画から外さない理解できない声を外さない
『解放区』で撮る側の危うさを見つめた太田監督は、その後、自分とは立場や考え方の異なる人の声をどう残すか、という問いにも向き合いました。『Candle For Minority』は、テロリズムをめぐる社会の動きのほか、難民、イスラム教徒、外国人労働者を取り巻く状況について、立場の異なる人々の声を記録した作品です。
分かりやすさから、こぼれ落ちるもの
『Candle For Minority』は、太田監督が理解・賛同できる声だけを集めた作品ではありません。異なる立場から語られた言葉も映画に残す理由と、そこにどのような可能性を感じているのかを聞きました。
『Candle For Minority』の頃から特に意識するようになったのは、「一つの価値で判断しない」ということでした。
自分が理解できない発言や、賛同できない考えに出会ったときに、それを映画から排除しないことが重要なのではないかと思うようになりました。
その「こぼれ落ちたもの」のほうに、映画として面白いものがあるのではないかと思っています。その考えは、その後の作品にもずっと続いています。
人だけでなく、場所も人を変えていく場所も人を変えていく
『現代版 城崎にて』では、太田監督が作品の中で見つめてきた人の言葉や行動に加え、「場所が人の身体をどう変えるのか」という視点が前景化します。その前年に発表した『サンライズ・ヴァイブレーション』でも、身体と心の健康、そしてユーモアを通して回復を描いていました。
『現代版 城崎にて』は、竹中香子さんの個人的な経験をもとに、太田監督と竹中さんが共同で脚本を作った作品です。事実をそのまま再現するのではなく、演じ直すことや、城崎の温泉、川、雨、植物の力を借りながら、一人の経験を他者へ開く方法が探られています。
回復を、説明ではなく体験として描く回復を、体験として描く
撮影日程や締め切りから逆算して動く日々を送っていた太田監督にとって、城崎で温泉に入り、川沿いを歩く時間は、仕事中心の速度からいったん離れる経験になりました。城崎で身体に起きた変化と、竹中さんの経験を映画として他者へ届けるために考えたことを聞きました。
城崎で大きかったのは、何か特別な出来事ではなく、「何もしなくてもいい時間」を身体が思い出したことだったと思います。
「回復する」とは、劇的に元気になることではなく、自分の身体の速度を取り戻すことなのではないかと思いました。
物語によって人を回復させるのではなく、場所や時間、他者との関係によって、人がいつの間にか少し変わっていることがあります。そのような変化を映画にできないかと考えるようになりました。
一番話したのは、竹中さん自身の経験を、どこまで「物語」にするのかということだったと思います。
個人的な経験を作品にするとき、それを分かりやすいドラマに変換しすぎると、その人が実際に経験した時間から離れてしまうことがあります。一方で、そのまま提示するだけでは、映画として他者に開くことも難しいと思います。
演じ直したり、別の人物に託したり、場所の力を借りたりすることで、竹中さん自身が、その経験を少し離れたところから見ることができるのだと思います。
『現代版 城崎にて』では、昆虫、植物、雨、空気の振動までを「出演者」のように捉えています。本記事では、城崎の湯や川と、沼影市民プールの水や光を重ねて見ることで、場所を単なる背景ではなく、人の記憶や身体に働きかける存在として撮る姿勢がつながっていると考えました。
正解を一つに決めない監督へ正解を一つに決めない
『沼影市民プール』は、さいたま国際芸術祭2023の公募61企画から選ばれた7企画の一つとして、撮影許可や一部制作資金などの支援を受けて始まりました。公共施設の閉鎖を記録する一方で、その施設を運営する行政側とも関わる立場にありました。
住民説明会では、そうした立場の難しさが表面化しました。プロデューサーの竹中香子さんが、一市民として閉鎖の周知方法について質問したところ、芸術祭側からは撮影者としての客観性を求める趣旨の指摘があり、制作チームとの間に意見の隔たりが生じました。太田監督は後に、双方に守ろうとしたものがあったと捉え直しています。
意見が違うまま、一緒に作れるか
住民説明会での出来事を振り返ると、意見の違いだけでなく、立場の異なる人とどう作品を作るかという問いも浮かび上がります。その背景を知るため、初期から現在まで、人と映画を作る姿勢がどう変わったのかを聞きました。
初期の頃は、作品をよくするためなら、ある程度衝突することも必要だと思っていました。「ここまで行かなければ映画にならない」という自分の判断を、かなり強く信じていたと思います。
今はむしろ、意見が違ったときに、その違いを解消しなくてもいいと思うようになりました。
映画を作る人、出演する人、撮影される人には、それぞれ別の人生があります。同じ映画に関わっているからといって、作品について同じ意見になる必要はありません。
むしろ、「自分にはこう見えるけれど、あなたにはそう見える」という違いを残したまま、一緒に作れるかどうかを以前より考えるようになりました。
監督が全員を一つの方向へ導くことだけが共同制作ではないと思っています。
異なる人たちが、異なるまま同じ場所にいられる状態です。それ自体が、自分にとっては映画を作る意味の一つになってきています。
制作チームはプールに通って利用者と話し、プール宛ての手紙を書く場も設けました。こうした過程からは、カメラを向けた時点で、撮影者もその場所との関係を持つ存在になるという考え方が見えてきます。そこで生まれた会話や影響まで映画に含める姿勢は、『解放区』以来の問いへの一つの応答とも読めます。
一つのプールに、いくつもの人生があった一つのプール、いくつもの人生
最後に、映画『沼影市民プール』の撮影と編集そのものへ話を移します。作品が記録したのは、2023年の夏、閉鎖を控えた屋外プールの最後の49日間です。太田監督にとって、沼影市民プールは子どもの頃から知っている身近な場所でした。
しかし、調査を始めると、そこには家族連れ、水泳を続ける人、働く職員など、それぞれに異なる時間が流れていました。さらに、一部のゲイ男性にとって、出会いや交流の場でもあったことを知りました。同じプールでも、立場によって見えていた風景は異なっていたのです。
きれいにつながらないから、面白い
当初は、閉鎖される市民プールを記録する企画として始まりました。しかし、撮影を続けるうちに、企画は当初の想定を超えて広がっていきました。何が太田監督を惹きつけ、次々に集まった素材をどのように一本の映画へ組み立てたのかを聞きました。
一番面白かったのは、一つの場所からまったく違う世界が次々に出てきたことです。
僕はそこが面白くて、全部を一つの主張に回収するのではなく、「こんなところにも入口があったのか」と横道へ入っていくような感覚で撮っていました。
編集では、二時間ほどあった当初の版を、かなり組み替えました。
社会問題について説明するだけの映画ではなく、笑ったり、驚いたり、「何なんだこれは」と思ったりしながら、観客が作品の中を進んでいける映画にしたかったんです。
映画はやはり娯楽でもあります。自分自身も、次に何が出てくるのかを楽しみにしながら作れたことは、この作品にとって大きかったと思います。
完成した映画の海外上映では、フランスで夏に家族が集まった祖母の家を思い出したという感想が寄せられました。釜山では場所の喪失とノスタルジアが、テッサロニキでは都市政策、公共空間、孤立が話題になりました。埼玉の一つのプールの記録が、別の土地の観客にとって、それぞれの記憶にある場所を考える入口になったことがうかがえます。
『卒業』で自分自身と家族を撮ることから始まり、太田監督は、友人の多面的な姿を残し、撮る側である自分を問い、異なる声や場所が持つ力を受け止めてきました。『沼影市民プール』では、そこに重なる異なる記憶を、一つの結論にまとめずに残しています。閉鎖された場所の記録であると同時に、監督が人や場所とどのように関わってきたのかを映す作品でもあります。
ふらっとゲイバーマップよりふらっとより
ここからは、作品と取材を通して僕自身が感じたことを記します。太田監督の発言や制作意図とは区別した、ふらっとゲイバーマップからの感想です。
映画『沼影市民プール』を観たあと、僕の中に残ったのは、「人には葬式があるのに、場所にはない」という感覚でした。人には別れを告げる時間がありますが、場所の場合、そこで生まれた会話や関係を振り返る間もないまま、日常から消えてしまうことがあります。だから僕には、この映画が、沼影市民プールに別れを告げるための一つの場に見えました。
画面に残るのは、喪失だけではありません。水面やロッカー、泳ぐ人、働く職員、映画に登場するゲイ男性たち、周辺の店など、その場所を形づくっていた風景や人々も映っています。そこで交わされた会話や、思わず笑ってしまうような人間らしさまで残されています。
太田監督が撮っているのは、失われる瞬間だけではなく、人や場所を失ったあとにも残り続ける関係なのだと思います。
僕が取材を通じて感じたのは、相手を一つの属性や解釈に閉じ込めず、自分の見方も疑いながら、その人との関係に向き合い続ける姿勢でした。
沼影市民プールには、一部のゲイ男性にとって、出会いや交流の場となってきた歴史もあります。しかし映画は、その一面を刺激的に切り取るのではなく、一人ひとりの暮らしや家族との関係、孤独、年齢を重ねること、人とのつながりまで映していました。太田監督がLGBTQに関する言葉を慎重に選ぶ姿勢に、情報を伝える立場にいる僕自身も大きな意味を感じました。
ただ、映画が完成しても、失われた場所そのものが戻るわけではありません。「記録が残ったから、それでよかった」と終わらせず、誰の声を聞き、何をどのような形で次へ渡すのかを考え続けたいと思います。
この記事も、「そのとき、そこにあったもの」を、まだその場所を知らない誰かへ渡す一つの記録になればと思います。
